昭和五十年十月十日      御理解 第六十五節「日柄方位は見るに及ばぬ普請作事は使い勝手のよいのが、吉い家相じゃよい日柄と言うのは空に雲がないほんぞら温かい、自分に都合のよい日柄じゃ如何に暦を見て天赦日じゃと言うても風雨が強くては今日は不詳のお天気じゃと言うではないか、日のお照らしなさる日に吉い悪いはないと思え」



金光教の常識です、これを金光教以外の者から見たら非常識と言うでしょう、結婚するのにやはり良い日柄を定めて大安吉日と言う日を定めて、結婚の日に定めると言うのが常識になっとります、それはそう言う事ではないと喝破しておられる、私はそれではのうても教祖様があのような実意丁寧な方ですから、もうそう言う事には非常に心をお使いなった 自分の大家を改造するお広げなさるとでも、ちやんとそう言う観る人、言わば日柄方位の解る方に見て貰って、それで年まわりか悪いから広げてはならない、もしこれを広げるとするならば、一遍この家を廃しなければいけない、この家を住んで居ない事にしなければならない、と言うて、言われなさったので納屋の方へ移んなさった、そして見て貰ってその通りの事をしなければ金神様に対する御無礼になるのだと言うような考え方。
四十二才の大患のときに、もう湯水も喉を通らないと言う程しの大患でおありになった、皆親戚の者も集まって、一心に石槌の神様を拝んでおられた。
新屋の次郎と言う方に神懸りがあった、この家の主人に豹尾金神に無礼があると石鎚の神様のお伝えがあった、その時に奥様のお父さまであらせらる古川八百蔵と言う方が、その前に進みでられて他の者ならいざ知らず、この家に主人にかぎってはそう言う御無礼はないと断言された、と言われる程しに実意丁寧を極められておられる訳ですね、金神様にお粗末御無礼のないようにと、それでそのことの日常御生活が われる訳ですが、そう言う行き方をなさっとられる訳ですが、豹尾金神様に御無礼がある等とは他の者なら、いざ知らずだけども、この家の主人に限ってはそう言う事はないと言った。
そこを寝んどられた教祖様がはいはいをしながら、御神前にお出でになってただ今氏子の申しましたこと、それは観て立てたと言いながらそこは生身の凡夫のことでございますから、どこにお粗末御無礼があるやらわかりません、と平に平ににお許しをこうておられる 五月の一日には験をやる験を見せると仰るからと言われた、神様と古川さんとそれから教祖様と三つのそういた対話との、ございますようにそこからおしましても、如何に例えば日柄方位とか、いわば暦の上で様々な例えば種を播く裁ちものをする、に致しましても日を選ばなければならない、またそれをそうなさったと言う事がわかります。
そう言う例えば教祖様がです、大胆も大胆、もうとにかく日のお照らしなさる、吉い日悪い日はないと思うと言うような事を仰有っておられる。
もちろん段々御信心がお進みになられて、天地金乃神様よりいろいろなお知らせを受けられるようになって、天地金乃神様のお伝えお知らせを受けられての事でありますけど、私教祖の神様がこのみ教えを頂かれた時にです、もうそれこそ晴天の霹靂でおありになったでありましょうが、と思います。御自信が例えばそげな事は迷信じゃかと言っておられる方なら、いざ知らずじゃけれども、もうそれこそそれを信じ切っておられた教祖様、例え天地金乃神様から世間から何様と言われても、それを言われるのに教祖の神様を対照になさっておられる、天地金の神様の前には例えば日のお照らしなさる日に、吉い悪いはないと思うと、それが如何に天赦日じゃと言うても、雨が降ったら風が吹いたら今日は不浄のお天気ではないかと、理解を述べておられる。
まさに晴天の霹靂です、そこのところのです私はお道の信心をさせて頂く者はね、そう言う替わり方そう言う受けとめ方、がお道の信心よい信心を頂く事も、よいおかげを頂く事も出来ません、親先生はああ仰るけれども、と言うてはもうおかげになりません。
此処のところをね私はおかげを受けていかねばならない、所謂金光教の常識である、にもかかわらず非常識な事をしておかげの頂ける筈はありません、金光教の信心を身につけるとマナーを身につけると、そこから信心が至って参りませんと、外のすべての教えが、そうしてすっきりしたものに受け取れなくなるのです。金光様の信心をしよってもです、日柄方位を言うたり普請造作をするのに日柄を見て貰ったり、結婚式には黄道吉日を選ばなければならなかったりといったような、すっきりせん事この上なしそう言う心の状態で、如何に教祖が教えて下さる、み教えを頂いても晴天の霹靂になってこないのです。
ああそうだったのか知らぬ事とは言いながら。
本当に天地に対するお粗末であった、御無礼であったとこう言う生き方では人間が幸せになれんのだと、このような思い方が出来んのです。そこでです教祖様は御自身が天地の親神様からお伝えを受けられる、そしてそれを自分が信じ、それを行じなさって言うなら確かめた上に確かめなさって言うなら、お取り次ぎをなさったと言う事です。成程日柄とか方位とかと天地の親神様の御恩恵の中に道があると、それにケチをつけるような考え方は天地に対する無礼である。いやそれが前前の巡りで難儀の元を作っておるんだと言う、大きな悟りにもなっておられるのですね。
そこで私共の信心、願い祈りと言うものの内容がです、そう言う信心を言わば土台にして 願わして貰う、祈らして貰う、その内容もまた変わってこなければならない事になります、今までは仏様だ神様だと言いながら、頼むとか願うとか、またそれを聞いて下さる事が、仏様であり神様であると思っておった観念が変わって来る。
そう言う思い違い考え違いと言うものが、おかげの頂けない元であると言う事が分かって来る、そこからの祈りであり、そこからの信心でなからねば、ならんと言う事になるのです、だから稽古がいるのです、確かめなければなりません、自分のものにしてゆかねばなりません。先日吉井の熊谷さんが近所のお年寄の方と、偶偶ここの帰りに会われた、何かを待っておられるような風でしたから聞かれると、まあ息子が迎えにこられるのを待っておられるところであった、あなたはどちら行きであったかと聞かれてから、合楽にお参りしたと答えられると、朝もあなたはお参りしよんなさったが、夜もお参りなさるのですかと言う事であった。もうそれは信心の稽古ですから、もう朝もなければ夜もありませんと言うて、言われた時にね、そのじいさんが言われた、信心にも稽古がいるかと、ほう信心にも稽古がいるですかと、信心とはもう、只後生をたのむことやら、困ったこと難儀なことを願う事だけが信心だと、お寺さんが御親戚だそうですから、二十年間お寺さんにお日参りしておられるおじいさんだそうです。
そして熊谷さんの言われる、信心の稽古に通われるのですから、一遍でん余計に通わせてもらわにや、朝参ったからそれでよいと言うのではない、朝も参りゃ、夜も参らして、しかもやがて八十になるおばあさんが、三里の道をいとわないで、何十年間、稽古に通っておられる事を知っておられる。そのおじいさんがあげん参りよんなさったのが、お願いとか頼みとかでなくて、信心の稽古に通いよんなさったとですかと言うて、びっくりされたと言う事です、此処には信心の稽古に来るところ、今まで信心者には聞いた事もない事である、サ、そこで皆さんが果たして私が合楽に信心の稽古に通っておるかと言う事にまず確かめねばなりません、と言う事になるでしょうがね。
今日の御理解を聞いて頂くために、こればおかげを頂かんならんからお参りしよると、と言うとその叔父さんの思うてござる、神様や仏様と五十歩百歩と言う事になるのです、 おかげを受けなければならない、その事柄を通してです、信心の稽古に通って来るのです そして成程こう言う事ではおかげは受けられない、その事実を知ったらそこから改まった信心が出来て来なければならない事になるのです、それともちっと具体的に申しますとです、お道の信心はです、その困った事難儀な事だと言う事がです。信心の稽古の材料とあって見ればです、それは有難い事であり言うならばそれはです、信心の言わば一つの風情であると言う事です。
どうぞ今日雪が降りませんようにと言うのではなくてです、その雪が例えばその雪が松の木の上に一杯積もっておる、それこそ色さえ変えずにその色を支えておる、それが一つの風情になるように、風情があるように、私どもはどうぞ雪が降りませんようにと言うのでなくてです、降ってきた難儀ならば、降った来たその冷たい事であるならば、降ってきたそれが雪であるならばです、それを生き生きとした心で受け支える力を頂く事が、信心だと言う事になるのです。
難儀と思っておったのは難儀ではなくて、これによって研かして下さろうと言うのでなくて、これによって改まらして下さろうとする、これに依って稽古をさして下さる、御神慮である事が分からして頂いたそれが信心の、いうならば風情ともならして貰うと言う程しのもの、にならなければならない事を教祖は説いとられます、所謂難はみかげと言うとられます、みかげと言うのですから難を一つの風情としておられる事でございます、丁度松の木に真白い雪が積もっとるようなものを、そこに感じます色も変わらん枝も折れない。今日はだからね皆さん、此処で頂くみ教えがです、皆さんが頂く日々にです、それこそ晴天の霹靂と感じられるような、受けとめ方がです、出来ないのは所謂お道の信心の根本のところが、本当のことになっていないからだと、言う事になります。
金光教の信心をさせて頂きながらです、金光教の常識と言うものをまだ身につけていないからと言う事になります。成程難儀と思うておりますがそれはみかけであったと、わからせて貰う信心です、成程これは力をつけて下さろうとする神様の働きであったと言う事です、そこでね力を得ると致しますか、それはどう言う事かと言うとおかげを頂く、おかげを持たせて頂く力なのです 百斤を持てる力が出来たら必ず神様は百のおかげを下さるのです、その辺のところを後に説いてあります、ねうけものを作れ、力を作れだからその受けものをつくると言う事がです、お道の信心の一番大事なところをスッキリと頂いておらないと、それは只お願いしたばってん、毎日日参したばってんおかげ頂ききらじゃったと言う事になるのです。
おかげはだから絶対のものなんですね、今日は六十五節を大変、変わった角度から聞いて頂いたです、例えばこれをこう呼んで見ると、成程という風にまあ感じられるところでございますけれども、それが自分の行き方の上に金光教の言うならば常識が本当に常識として、入っておらないといけません、そこからです教祖の神様が例えばこのみ教えを頂かれた時に、それこそ飛び上がらんばかりにびっくりされたんではなかろうか、と私は思います、今までの何十年間、とばかり思い込んでおった日柄とか方位と言うものがです、そう言う事はないのだとこれは私が神様から、いろいろな事を頂きます。
今までそうだと思っておった事がそうでないんだと、例えば先日から御霊様には頼むもんじゃない、御霊様にどうぞどうぞと頼む事は、それは死んだ者を舞台に引っ張り出して、サア踊れと言うのと同じだと言う風に頂いた時いらい、もうそれこそ私の心には晴天の霹靂でした。何十年間御霊様を拝んで来てから、拝んで来ただけでなく頼んで来たのですもん。随分御霊様もそれこそ尻こそばゆい思いをなさった事であろう、御霊様に力がある訳はない、只霊様それは自分の関係ある信心で言うならば、信心の師匠筋である。御霊様または自分の家先祖の霊様に対する感謝こそ愈々、捧げなければならないのだけれども、頼むものでないと頂いた時にもうその時点に於いて、渡しはもう御霊様にたいする観念と言うものがすっかり変わったんですから、ね、スッキリ変わる事をです、今日は皆様に聞いて頂いた、でないとおかげがスッキリして来ませんです、今日は私は皆さんに聞いて頂いた、でないとでないとおかげがスッキリしませんです。
だから皆さんがもう一度皆さんが改めると思わんならんのは、此処には信心の稽古に来るところと仰るが、スッキリとサア今日も稽古に行く、すると金光様の信心ちゃ稽古がいるですかと、そりゃあ拝むけいことか、参るけいこではなくて、教えを行ずる稽古なのです ができなければ出来ませんように、難はみかげと仰せられるが、本当に難はみかげとわかった時に、それこそ松に白雪が積もっとるように、素晴らしい風情になってきましょう その風情言うなら、そう言う冷たいものでも雪でも支えて持てれる力がそのものがです その力がそのままおかげになると言う事でございます。どうぞ。